【東京】東京駅八重洲口
かつて、ここには、大きなビルがあったはずなのですが。
スーパーホテルの看板が、しばらく前はここからは見えなかったと思います。
少し来ないうちに、取り壊されて、これからは、新しいビルが建つのでしょうね。更地にして放置するのは、いかにも、もったいないですから。東京は土地の新陳代謝が激しいです。数年も経つと、景色が変わります。
今、私が立っているのは、東京駅の八重洲口ですが、ここの地名・住所は丸の内です。写真の下に、外堀通りが走っていて、この外堀通りの向こう側、つまり、写真に写っているところが八重洲です。
東京駅があるので、駅を挟んで皇居側が丸の内、海側が八重洲だと勘違いしてしまいます。かつては私も、そう思っていました。しかし、元々これらの地名は、東京駅ができる前にあったものです。
正確には、江戸城に対して外堀の内側が丸の内で、東京駅を取っ払って考えなくては、線路がないものと考えないと分かりません。
さて、八重洲の地名は、1600年に日本に漂着し、家康に世界情勢などを伝え、ここらに住まいを与えられたオランダ人、ヤン・ヨーステンに由来することは、よく話題に登りますので皆さんご存知のことと思いますが、その住まいは八重洲ではなく、外堀りの内側、つまり丸の内の八重洲側にあったといいますから、話がややこしい。
東京の地理を理解するには、もっともっと、江戸時代の地理を学ぶ必要がありそうです。